| 福祉部長答弁 |
| 報国農場は昭和14年3月に始まり、後に、当時の大東亜省内に本部が設置され、満州建設勤労奉仕隊というのがございます。この奉仕隊は文部省あるいは大東亜省、農林省という3つの省から編成されていたと承知しております。特に農林省では、報国農場班と米穀増産班とが編成されたという記録がございます。ただ、昭和14年に始まっておりますが、当初は農林省の関与はほとんどなかったようです。初年度は農林省はまったく派遣をしないという状況であったようです。『満州開拓史』という本がございますが、これでは昭和17年に農林省が在満報国農場施設を設置をして、農林省から全国的組織である農業報国連盟において実施されたという記録がございます。 |
| 当時の資料なし・・・わかりません |
そして重点が報国農場に移って行き、内地では勤労奉仕隊という名称も一般に忘れられるようになり、在満報国農場一色になってしまったという経過をたどっております。 こういうことから、平成5年の今中議員のご質問にも答えておりますが、当時の県の農政課、園芸農産課等で昭和17年当時の資料がないのか調査をしましたが、まったくないという状況です。県には資料がございません。 従いまして、資料の提供等協力の話がございましたが、県としては資料はいっさいもちあわせておりません。関係の『満州開拓史』等によって承知をしている状況です。 報国農場を含む中国関係の行方不明者の調査、遺骨収集については引き続き、厚生労働省で実施をされているところであり、身元が判明すると、未帰還者としての援護については窓口は福祉政策課で対応しておりますが、当時のことにつきましては福祉政策課では担当しておりませんでしたので、わかりません。 |
| 解決したものと理解している |
なお、2人の方の身元については、旧満州国で行方不明になられた和田高子さんと和田あい子さんと聞いておりますが、すでに肉親による死亡届、戦時死亡宣告で戸籍処理もされており、また遺族に対して特別交付金が支給されていると答弁をさせていただいていますので、解決したものと理解をしているところです。 窓口を明らかにということですが、いま申し上げた経過をたどっておりますことから、福祉政策課が窓口になることは困難と考えております。 |