十津川「報国農場」の惨事・・・相談窓口を
  9月12日 今井光子議員は厚生委員会で旧満州の十津川報国農場の悲惨な事件を取上げ、県は相談窓口の設置を要求しました。(委員会での質疑応答の内容を記載します)    

 県からの押し付け・・・青少年、少女91名を満州へ
今井光子議員・・・旧満州の十津川報国農場の問題です。戦後57年がたっております。戦争体験者がだんだん少なくなってまいりました。先日、県民の方がこられまして、この本(「遥かなる過去を訪ねて」)を1冊、もって来られました。
 私はこれを読ませていただきまして、まったく知らなかった報国農場のことが書かれておりました。
 報国農場とは昭和14年に満州勤労奉仕隊運動として誕生し、農林省の分掌事務のもとに、報国農場班が設置され、農事振興会という団体が各県に支部をおいて、奈良県では当時の小野知事が支部長です。奈良県では昭和19年、20年に県下の市町村から約150名の青年男女が2カ所の農場に勤労奉仕隊として参加しました。
  満州十津川開拓団史によりますと、昭和19年の11月に県農務課のO氏がこられて、実は十津川村から隊員を選び、奈良県満州報国農場を設置することを決定した、地元は了承済みで、地元は十津川開拓団で引き受けてほしいと告げられたと、県からの押し付けであったということが書かれております。
  また農場の創設にあたり、敗戦直前の緊迫した時期に農業経営者も同行させないまったく無責任なやりかたで進められて行きました。昭和20年の5月、十津川村から15、6歳の青少年、少女たちが引率の先生とともに91人が見知らぬ満州の地におくりこまれ、2カ月あまりで敗戦を迎えました。
 91人中 生還者41名
  開拓団とともに避難民になり、ソ連軍の支配のもとに強制労働を強いられ、性虐待を受け、飢えと寒さと伝染病と、肉体的にも精神的にも苦しみ、悲惨な最後を遂げて、生きてもどることができたのはたった41名だけ。開拓団は341名、生きて帰って来たのは122人です。
 奈良県分は 未契約
 最悪の状況を考慮して、戦争死亡障害保険法施行規則に基づき、農林省は昭和20年7月に一人5000円の生命保険をかけるようにと名簿の提出を求めましたが、隊員4622人のうちの保険加入者は2322人と少なく、奈良県からの報国農場の参加者は県庁からの名簿の提出がなかったために、皆、未契約になっていました。しかし、契約をしていない隊員にも死亡者が多かったために、全国一律にプールして支給されたということです。
 6回の訪中調査で
 この本をまとめられました玉置さんは、もしこれらの悲惨な事実がまぼろしとかしてしまうことになれば、あの広野に無残な姿でちり去った多くの方々が、荒涼とした原野をいつまでもさまようことになるだろうと、書かれております。
 このような歴史的事実が十津川村史にあたります『十津川郷』には一言も掲載はされておりません。その後、村の協力も得て、10年あまりにわたり6回の訪中調査で、すべての開拓団の犠牲者の埋葬地が確認されております。
 近親者にはなくなっている方が多く、弔うことができておりません。当時16歳の和田高子さん、19歳の和田あい子さんについてはいまだに行方がわからず、中国の赤十字に捜索をお願いしています。
 真実を明らかにして
 この悲惨なことがなぜ起きたのか、真実を明らかにして、再び悲劇がおこらないようにしたい、犠牲になった方々への一番の供養だと玉置さんが、この本をまとめられた思いであります。そのために県として調査の協力や捜索の協力を望んでおりますが、残念ながら県の窓口がはっきりしないため、困っております。援護については福祉政策課ですが、報国農場についてはどこが窓口になるのか、関係部所と協議をして窓口を明らかにしていただきたいと思います。また、平成5年に今中せつ子議員もこの問題を取り上げましたが、その後県としてどのようにとりくまれたのか、伺います。

 福祉部長答弁
 報国農場は昭和14年3月に始まり、後に、当時の大東亜省内に本部が設置され、満州建設勤労奉仕隊というのがございます。この奉仕隊は文部省あるいは大東亜省、農林省という3つの省から編成されていたと承知しております。特に農林省では、報国農場班と米穀増産班とが編成されたという記録がございます。ただ、昭和14年に始まっておりますが、当初は農林省の関与はほとんどなかったようです。初年度は農林省はまったく派遣をしないという状況であったようです。『満州開拓史』という本がございますが、これでは昭和17年に農林省が在満報国農場施設を設置をして、農林省から全国的組織である農業報国連盟において実施されたという記録がございます。
当時の資料なし・・・わかりません
  そして重点が報国農場に移って行き、内地では勤労奉仕隊という名称も一般に忘れられるようになり、在満報国農場一色になってしまったという経過をたどっております。
 こういうことから、平成5年の今中議員のご質問にも答えておりますが、当時の県の農政課、園芸農産課等で昭和17年当時の資料がないのか調査をしましたが、まったくないという状況です。県には資料がございません。
  従いまして、資料の提供等協力の話がございましたが、県としては資料はいっさいもちあわせておりません。関係の『満州開拓史』等によって承知をしている状況です。
 報国農場を含む中国関係の行方不明者の調査、遺骨収集については引き続き、厚生労働省で実施をされているところであり、身元が判明すると、未帰還者としての援護については窓口は福祉政策課で対応しておりますが、当時のことにつきましては福祉政策課では担当しておりませんでしたので、わかりません。
解決したものと理解している
 なお、2人の方の身元については、旧満州国で行方不明になられた和田高子さんと和田あい子さんと聞いておりますが、すでに肉親による死亡届、戦時死亡宣告で戸籍処理もされており、また遺族に対して特別交付金が支給されていると答弁をさせていただいていますので、解決したものと理解をしているところです。
 窓口を明らかにということですが、いま申し上げた経過をたどっておりますことから、福祉政策課が窓口になることは困難と考えております。

 相談窓口の設置を・・・再度要求
今井光子議員・・・県の福祉政策課ではできないということは答弁でわかりましたけれども、窓口をどこに相談したらいいのか、その窓口を明らかにするために、内部で調整をして、窓口を明らかにしていただかないと、ほんとうに皆さん、お年になっており、あっちにいって違う、こっちにいって違うということでは大変です。
 奈良県に公文書は残っていないということですが、十津川村には昭和20年の時の文書だけがないとういうことで、当時を知るためには、報国農場隊を繰り出しました大塔村、黒滝村、天川村などにある可能性はあるということです。
  そうした調査に、県として村に協力要請をしていただければ見つかることもあるということで、そうしたこともしていただきたいというように思います。内部調整で窓口を検討していただくということで、もう一度、答えてください。

 福祉部長答弁
農林省がやっておりますので、福祉部で対応するのは困難です。窓口設置はどこになるかわかりませんし、資料がないので、つくっていてだけるかどうかわかりませんが、そのような要望があったということは、伝えさせていただきたいと思います。

傍聴者の声
 責任の所在を明らかに
 報国農場問題がようやく県議会で取上げて頂いてありがとうございます。一日も早く県当局は責任の所在を明らかにしていただきたいと思います。
   9月28日 奈良市(報国農場 生還者)
 窓口が残っていた!
 報国農場問題の責任の所在を県当局に明らかにし
て頂くため、1992年より要請書を提出してから10年の
歳月が過ぎ、その間、追求の手を緩めるとズルズルと
放置される、これが現在の行政の姿かと思われます。
このように県当局の積極性欠如の状況下に於いて、
犠牲となった農場隊員の親族中、両親は総て他界して
しまいました。僅かに兄弟たちが少し残り、多くが祭紀
も遠縁者に頼る状況となり、全く空しさが胸をしめつけ
る思いであります。
 委員会において今井議員の質問に対し応答も「過去
の要請のひとかけらも取上げない、その場逃れ」とし
か言いようがありません。しかし、今回の討議の結果、
窓口らしい形が見え始め、今後これを確かなものとし
て行きたいと思っております。
 先日、今井議員よりお電話で「報国農場の窓口が農
水省に残っている」とのこと早速ですが、昭和27年4
月、「在満州報国農場隊員善後処理概要」の文書綴り
の存在を質問してみたいと思います。
 正式な文書綴りがあれば、今後の県当局との話し合
いの基本になると思います。12日の委員会において福
祉部長が「遺族に対して特別交付金が支給されてい
る」と答弁されておりますが、その内容等々、知りたい
と思っています。くれぐれもよろしく。
   9月28日 平群町 玉置泰臣
遥かなる過去を尋
ねて
著者 玉置泰臣
定価 2000円
申込先 
奈良県平群町福貴395-1
電話 0745-45-2937

 事件を知って衝撃をうけました
 こんな不条理なことが過去に行われ、今もその事実が解明され
ないことを知り、大変衝撃をうけました。歴史から葬られる前に、
公に残しておかなくてはと思い、委員会で取上げました。
 平成5年に我が党の今中せつこ議員が取上げましたが、委員
会質問の議事録はすでに廃棄されており、残っていませんでし
た。
 折りしも「有事法」が国会で再論議されようとしています。国の
命令にさからえないのが「有事法」。そうだとすれば、又、同じよう
な惨事がくりかえされます。
「有事法」の廃案をめざすと共に{報国農場」問題の相談窓口の
設置。国と県当局の責任の所在を明らかにさせることが大切で
す。
 私の質問の後、自民党のある県議から「よう言うてくれた」と声
をかけられました。