吉野はこの度「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界遺産に登録されました。長い歴史のなかでこの土地に生き、伝統や、文化を守り続けてこられた多くの方々がいたからこそ実現できたものです。吉野桜カントリーゴルフ場跡地は蔵王堂のある吉野山の西隣りの尾根に当たります。 1984年4月に六田区に初めてゴルフ場開発の話がありました。開発地の直下に位置し、開発区域を源流とする九条谷川、奥六田川が、区内を縫うように流れております。開発による農業用水や、土砂災害を心配した地元は反対を表明。当初は県の関係各課もそろって水利権者である六田地区の同意は、必ず必要といっていました。ところが、事前協議を重ねる中で、開発地域の調整池が六田区から左曽区側に30メートルほど移動。92年12月24日、都市計画法29条にもとづき開発許可が降ろされました。 無謀なゴルフ場開発で、調整池の溢水によって、地元は2度にわたって冠水しました。最も危険な個所に民家3件が立っています。六田の清流は万葉集にも「蛙鳴く六田の川の川柳のねもころ見れど飽かぬ川かも」、いつまで見ていても飽きないほど美しい川と詠まれています。 それがゴルフ場開発によって、蛙も激減し、工事中は蛍や稚魚もまったくいなくなり死の川に成り果てしまいました。お上のすることは間違いないと信じてきた地元住民は、孫子のためにと業者を相手に裁判をおこしました。途中で開発業者の村本建設が倒産。2001年9月11日大阪高等裁判所において和解が成立。業者は9月28日開発行為に関する取りさげをおこないました。既にそのままの状態で3年が過ぎています。 20アールも山肌はめくられ、谷は埋め立てられ痩せた尾根に作られているダムのような調整池はそのままで地元では頭上に爆弾を抱えているようなものと不安にさらされています。 和解にあるように、ゴルフ場の跡地利用は、歴史的環境にふさわしく復元し、下流の災害のない状態になって初めて真の解決となります。住民は県がゴルフ場開発を認可しなければこんなことにならなかったと、県行政に憤りを感じています。開発申請の際に県が求める同意とはなにかお聞かせください。 裁判による和解では第6項で「開発業者は土地に関して今後監督官庁たる奈良県知事から発せられる行政処分、行政指導を確実に守る」出された回復期限の猶予を3度も更新し、来年3月31日まで延長しています。いつまで繰り返すのか。もう最後にしてほしいというのが住民の願いです。県の考えをお聞かせください。 和解では跡地利用としてこの土地が吉野の歴史的環境と一体をなすものであり、それにふさわしいものにするとしています。ところが管財人が提示してきたものは、違反の例示までされた、巨大墓地、また巨大ミルクパークなど、およそ吉野の歴史、伝統から解離したものを持ち込んで着ています。 吉野町では昨年、議会が全会一致で跡地の取得決議をし、1億円という額を提示しましたが値段の折り合いがつかずそのままになっています。現在も新たな申請が出ていると聞いていますが住民は、調整池の管理などが、将来にわたってできるよう公的機関の所有になることを願っています。 本日傍聴にお見えの直木孝次郎先生が代表をされていた吉野を愛する会が、万葉植物園構想を提案しています。内容は、痛め付けられた山肌を復元し、吉野山の風土的環境を理解するため、標本樹を個別に植えるのでなく、関連樹種を再生産可能な規模のグループにまとめて育成し、それらの組み合わせて万葉植物園の効果を出そうというものです。生態系に立脚したいくつかの森の集合体が万葉植物園構想です。 周辺は世界遺産の吉野の大自然と歴史的景観があります。万葉の地、吉野を愛する全国の熱い視線がこの土地の行方を注目しています。開発許可をおろした県として、和解条項にふさわしい利用がなされるよう、町任せにせず支援していただくよう要望しておきます。 |
| おたずねの開発許可申請の際に県が求める同意ともうしますのは、都市計画法第32条によります水路など開発行為に関係のある公共施設の管理者の同意、それと同法第33条によります開発区域内の土地所有車等の同意でございます。 本ゴルフ場の計画につきましては平成4年に開発許可がされたのち、工事途中で事業者が倒産し、その後、民事上の訴訟についての和解をへて、平成13年に廃止届けが出されたものでございます。県としましては、その後、本ゴルフ場跡地に利用計画についてのさまざまな議論がなされていることから、跡地利用計画がまとまるまでの間、適切な防災措置の維持管理をおこなうことを条件として、開発行為の廃止にあたって必要なり道、水路の機能回復についての猶予を認めて来たものでござます。 |
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